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和傘の歴史
飛鳥時代に伝えられた蓋(きぬがさ)は、平安時代に入り和紙の普及、品質向上により、竹を親骨(フレーム)として細工改良した傘が作られたと伝えられています。
ただ平安時代当時はまだ天蓋のような覆い傘であり、貴人への日よけ、魔よけの意味が強かったといいます。この時代はまだ閉じることができる傘は登場していませんでした。
※「春日権現験記」
時代は下り、室町時代になると、その和紙に油を塗って防水を施し、雨傘としても使われるようになりました。
傘を専門に製作する傘張り職人が登場し、和傘製作技術が一段と進歩し、『七十一番職人歌合わせ』には傘張り職人の姿が描かれているほか、奈良の大乗院には唐傘座が組織されたと伝えられています。
ただし、室町時代までは一部の高貴な階級のみが持つことを許され、実用的に普及したのは、分業が行われるようになった江戸時代中頃となります。
当時は番傘、蛇の目傘などがありましたが、庶民にはいまだ菅笠(すげがさ)と蓑(みの)が中心であり、傘は、歌舞伎などの演目で使用されるほかは、医者や僧侶、豪商などある程度の身分の者を中心に普及したようです。
※蛇の目傘
画像提供元:履物とカバンかさの亀実
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