Individual Umbrella

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洋傘は、1804年の唐船からの伝来を機に、以降はイギリス、オランダ製品が長崎貿易で伝えられましたが、当時では高価な輸入嗜好品でありました。

 

それを象徴するものに、明治5年に制定された高島屋飯田呉服店(高島屋百貨店の前身)の店員の服装、規律を定めている「しきせもの制度」で以下のように傘の使用を定めています。

 

「元服後用うる晴雨並びに日傘は色濃く、地紙鯨尺1尺以上に限る。蝙蝠傘を許さず。
ただし商法に出るときはかぶり笠に限る。」

 

表記にある「日傘」は和傘のことで、「蝙蝠傘」は洋傘のことです。つまり高価でぜいたく品である「蝙蝠傘」は使用を許さないという規律です。

 

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※蝙蝠傘

フォックス・アンブレラズ(FOX UMBRELLAS)《ハンドル/アニマルヘッドグレイハンドの細身傘(洋傘、蝙蝠傘、雨傘)GT5モデル》BLACK(ブラック/黒)

 

また1870年(明治3年)に大阪府で傘の着用を禁じた「百姓町人の蝙蝠傘、合羽、またはフランケットウ着用禁止令」が発令されました。
傘を持つ姿が、明治維新で禁止された帯刀の姿と間違えやすいことが名目でありましたが、武士と同じような服装をし始めた町人階級を牽制する意味が強いようです。

 

しかしながら、洋傘は文明開化の進展で普及し続け、1871年(明治4年)に刊行された『新旧文化 の興廃競べ』には、蒸気の乗合、牛肉の切売、人力車の往返とともに、蝙蝠傘の流行も挙げられるほどだと伝えています。
明治時代に当時輸入されていた洋傘は、生地に絹、呉絽、アルパカ、木 綿を使用し、晴雨兼用で使われる仕様になっていたようです。
この頃から、洋傘は豪華でお洒落な小道具として考えられていたのではないでしょうか。

 

高価でありながら普及していった洋傘ですが、日本でも作られるようになったのは、1880年前後といわれています。
当初は材料も輸入に頼るほかありませんでしたが、1890年代になって、ようやく材料から一貫しての製造が日本で行われるようになりました。

 

国内製造により輸入洋傘が1/5程度に価格が下がり、国内に需要が広まっていったといいます。これを機に、それまで安価で庶民に受け入れられていた和傘から洋傘へとシフトしていくのです。

 

 

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